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December 17, 2006

スパンティーク峰(7027m)遠征 Ⅱ

           C1からライラ峰(6985m)をバックに
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 悪夢のはじまり
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 7月20日からはじまったキャラバンは順調に進み、24日にはベースキャンプ(以下BC) へ入るところまでこぎつけていた。ところが、4500mの鞍部でポーターのストライキという思わぬ事態が出現した。それまでまずまずの体調だった私はBCまでダブルボッカすることにした。2回目に担いだのが、運命の石油タンクであった。
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 夕闇迫る頃BCに着き、疲れていたので皆早々と就寝した。寝てしばらくしてから足に激痛がやってきた。暗がりの中で見ると、少し赤くなって以外変化はなさそうである。朦朧とした意識で靴下やズボンを脱いだら、痛みが軽くなったのでそのまま寝てしまった。
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 翌朝見ると、腰から足にかけて広範囲に赤くただれていて、一部水疱もできているではないか。ここでようやく、雪のため濡れたと思ったのが実は石油のためで、それによりひどい皮膚炎を起こしたのだということを認識した。
 それからは手持ちの薬でできるだけの治療をした。左足の靴があたるところ以外は徐々に治っていったが、そこだけはなかなか良くならなかった。
 2日間休養し、28日は我慢できずに第一キャンプ(以下C1)に荷上げした。登高中はすばらしい景色で一瞬傷のことも忘れたが、帰ってみると案の定傷は悪化していた。完全に治るまで登るのはとても無理だということを思い知らされた。
 以後はBCで治療に専念した。栄養不足では治るものも治らないので、摂取に努めた。経過は一進一退であった。

15日、教育基本法「改正」採決を自民、公明が強行した。あれだけ問題が噴出しているにもかかわらず、世論を無視してまでやるとは。「数の暴力」といわざるを得ない。次は憲法、その次は徴兵制だろう。住めない日本にしないため、力を尽くそうと思う。

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