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August 27, 2005

エルブルース(東峰)登頂Ⅲ

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 写真 左:山頂にて 背景はウシバ峰と5000m峰 右:山頂にて 背景は西峰
 10時出発。ガイドは通常のルートからはずれ、まっすぐ直登するという。私、日本人2人、ロシア人ガイドで1パーティーとなり先行する。日本人ガイド1人を含む3人は別パーティーとなり、ザイルを結んだ。ロシア人ガイドはここへ来て猛烈な勢いで登っていく。ザイルがあるため、我々もそのペースに合わせざるを得ない。斜度は20度くらいか。昨日降った新雪のため少しもぐる。もう1パーティーはゆっくりだ。頂上直下まで来ると、さすがに息が切れてくる。11時待望の頂上に着く。みんなで喜び合う。
 景色は本当にすばらしく、西峰が少し高く見える。ほどなく通常ルートから他のグループも登ってきた。ウクライナから来たという人と会話する。装備は見るからに貧弱だが、登頂の喜びにあふれチョコレートをもらってしまう。もうひとパーティーは12時頃登ってきた。頂上で写真を撮ったりしながら、2度とないであろう山頂のひとときを楽しむ。
 さて、下山だ。まず西峰との鞍部まで。風がなく氷河の照り返しのため、ものすごく暑い。あとは東峰を回り込むようにして高度を下げる。3時頃ようやく小屋帰着。疲れた一日だった。
 30日。雪上車で一気に降りる。リフト、ロープウェイと乗り継ぎ、昼頃始発駅まで下山した。暑い。バスでホテルに向かう。
 31日。下流で土砂崩れがあったという情報が入るも、詳細不明。他の人たちは近くの谷にハイキングにでかけた。私は顔の日焼けがひどく、ホテルで休養する。
 1日。土砂崩れはかなり大規模で、道が消失していた。荷物を担ぎ、高捲いて通過する。ミンボディ経由でモスクワ到着。
 2日。成田帰国。

 ここで本日講演会で聞いた話題をひとつ。「通販生活」に今回付録として、岩波ブックレット「憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言」がついたという。「通販生活」の商品は中国や東南アジアでつくられたものがかなりあると思われるが、もし憲法が変えられたら企業として大きな影響を受けるとの判断だろう。
 同書から経済同友会副代表幹事をしていた品川正治氏の言葉を引用したい。中略。「経済界が改憲派一色であるなどと、ぜひ誤解しないようにしてください。企業人のなかにも、先の戦争を通じて痛苦の体験をした人が数多くいます。また戦後、憲法9条の存在によってこそ民需部門でのめざましい経済発展が可能になったことを、多くの企業人が実感しています。今、東アジアの平和と友好のなかでこそ、企業活動も円滑に推進されていくのですから、憲法9条を変えてしまうことはその点でも大きな妨げになるのです」。

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August 26, 2005

エルブルース(東峰)登頂Ⅱ

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 写真 左:11番小屋をあとに順応トレーニング 右:いよいよ東峰の登りに入る
 28日。今日は順応日で、4700mのパスツーコフ岩まで往復だ。朝焼けとなり、遠くの山まで見渡せる。険しいウシバ峰や他に4つある5000m峰が目立つ。グルジア方面には影エルブルースが見え、この山の大きさを実感させられる。
 アイゼンをつけ出発。ガイドのあとについてゆっくり登る。正面が東峰、左奥が西峰である。順調に高度を稼ぎ約2時間でパスツーコフ岩に着く。しばらく休憩後小屋まで下った。
 夕方今日アタックして戻った登山者が意識がない状態となり、雪上車で下ろす場面に出くわした。夕食時には風雪となる。明日のアタックは、雪上車を使う人は3時出発。使わない人は1時出発となった。
 29日。いよいよアタック日だ。午前0時過ぎには起きて準備を整える。1時前には出発するばかりとなったが、我々につくガイドがまだ来ていないという。2時になってもまだこない。どうも今日雪上車で上がってくる予定だったようだ。肝心の雪上車がくる気配もなく、いたずらに時間が過ぎる。
 3時もう待てないので全員で出発することになった。真っ暗な中黙々と足を前に出す。ガイドのペースは非常にゆっくりで、後続パーティーにどんどん抜かれる。しらじらと夜が明ける頃、ようやくパスツーコフ岩直下の斜面にかかる。小屋から3時間でパスツーコフ岩に着いた。ここではじめて休憩をとる。眼下には朝焼けに染まる山々が見下ろされ、荘厳な景色だ。なんでもトルコにあるアララト山も見えることがあるそうだ。
 5分後もう出発である。この地点から300mほど直登だ。モンブランの高度は簡単に越える。5000m地点で小休止。快晴で景色はさらにすばらしい。ここからは左斜めに登っていく。今朝合流するはずだったもう一人のガイドが追いついてきた。
 ここへきて低酸素の影響がかなり出てきているようだ。5300m地点で今後の行動を検討する。西峰(5642m)か東峰(5621m)、どちらに登るか。2人は東峰という。私自身は主峰である西峰に登りたかったが、この状態で隊を分断できないので、東峰と答えた。これで全員東峰に登ることになった。

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August 22, 2005

エルブルース(東峰)登頂Ⅰ 98年7月~8月 ツアー参加

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写真 上左:のんびりとしたふもとの村 上右:氷河上を11番小屋をめざす 正面左が西峰 右が東峰 下:4000m峰をバックに高所順応トレーニング

 98年、夏休みを利用してロシアカフカス山脈の最高峰であるエルブルースに登った。少し古い記録であるが、参考にはなると思われるので紹介したい。
 7月24日。成田集合。参加者はツアーリーダーを含め7人であった。約10時間かかってモスクワ着。
 25日。国内線でミンボディまで移動する。緯度が下がったぶん暑い。専用車で登山基地であるテレすコルをめざす。夕方氷河に覆われた険しい山々が見えてきた。3時間かかってホテル着(標高2000m)。正面にきれいな4000m峰が望める田舎の村である。夕食時、下山したばかりという日本人3人組と一緒になった。本峰である西峰はかなりきついようだ。
 26日。順応行動日である。本日からロシア人ガイド2人と一緒である。内一人はH氏の個人ガイドである。我々についたガイドは普段大学で数学の助教授をやっているらしくいかにもインテリ風であった。バスでロープウェイ始発駅(標高2350m)まで移動する。中間駅(3000m)で乗り換え、3500mの終点駅まで苦もなく着いてしまう。リフトを使えばバロー小屋まで連れて行ってもらえるが、それでは順応にならないのでここから歩き出す。
 砂礫のゆるい斜面を周囲の氷河の山々を見渡しながらのんびりと登る。50分かけてバロー小屋着。休日と重なったためか観光客が多く、なかにはビキニ姿で日光浴を楽しんでいる女性もいて驚いてしまう。
 ここから氷河に入る。スキー場のような緩やかな斜面である。所々川となっていて、靴を濡らさないよう注意を要す。小屋が近づくとガスってきて、視界が悪くなってきた。約1時間半で11番小屋(4157m)着。小屋で昼食をとりながら、リーダーがパルスオキシメーターで酸素飽和度をはかる。5人は75~91%であったが、1人59%の人がいて高所であることを実感する。下山は早い。ホテルでたらふく食べて早めに就寝する。
 27日。今日は11番小屋に泊る日である。昨日とは違い、リフトに乗ってバロー小屋まで楽をする。大きい荷物は雪上車に運んでもらい、サブザックで小屋をめざす。途中から晴れてきて、カフカス山脈を越えてグルジア共和国の山まで見えてきた。小屋で昼食をとる。コック同行なのでおいしいロシア料理にありつける。
 ゆっくり休養後、順応のため少し登ることにした。約1時間かけて200m高度を上げる。正面に見えていた東峰がガスのため見えなくなってきたので、ほどなく下山した。
 夜、D氏はイビキをかいて早々と眠ってしまった。さすがアコンカグアに登頂しただけのことはある。我々3人はなかなか眠れない。やはり入山2日目で4000m以上の高所に泊るのはきつい。夜中になってやっと眠れた。

 つづく。
 

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August 20, 2005

快速登山の現在形Ⅱ

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 残暑お見舞い申し上げます。あまりに暑いので涼しい写真を貼りました。冬の八海山八ツ峰です。
前回に引き続き、快速登山について少し述べたいと思います。私がはじめてこれを意識したのは、昭和53年初冬の谷川連峰でした。積雪は30cmありましたが、途中一泊の予定をきりあげ一気に縦走した時です。
 その後は地元の飯豊全山、朝日(以東岳から葉山)、越後三山などで日帰り縦走を試みていました。
 北アルプスの五色ヶ原ヒュッテのところで、サブザックしかもたず飄々と縦走している人を見かけたことがあります。こういう登りかたもあるのかと、驚きました。
 アルプスでは、針の木雪渓から登り唐松岳まで日帰り、白根三山日帰りといったところです。
 快速登山の醍醐味は、なんといっても空身で大自然に飛び込むところでしょう。朝日連峰を運動靴で駆け抜けたときは、大自然と一体化したような不思議な感覚を持ちました。もちろん、相応の体力や経験の裏付けがなくてはなりません。山では何が起きるかわかりませんので、それがなければ無謀登山になってしまいます。特に北海道は、途中小屋や食料の調達は期待できないので十分な準備が必要です。
 これからも試みていきたいと考えているところです。

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August 18, 2005

快速登山の現在形

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写真 左:昨年実施した山行(ユニ石狩岳から天人峡)時、音更山山頂にて 右:アフリカ難民キャンプにて。気温は日中45度を越す
「山と渓谷」最新号に上記の特集があった。一読して驚くことばかり。丹沢の大倉尾根を55分で登頂。南アルプス全山を一日で。などなど。
 私もこれまで何回か挑戦したことがある。新潟の二王子岳を登山口の神社から、頂上まで76分。大倉尾根は1時間20分、大山は下から1時間だったかな。北海道に戻ってからは、十勝岳温泉から上富良野岳、トムラウシ経由で化雲岳から天人峡を日帰り。ユニ石狩岳から化雲岳を経由し、天人峡日帰り。ニセコの白樺山から五色温泉まで縦走し、そのあと羊蹄山ピストン日帰り。日高の伏美岳から戸蔦別岳経由神威岳日帰りなど。
 機会を見て、これからもできる範囲で試みてみたいものだ。

 ここで経験をひとつ紹介したい。私は以前パキスタンやアフリカで国際協力活動に加わったことがある。両国とも治安はあまり良くなかった。パキスタンでは宿舎に銃を持った門番がいて、しかも部屋にはいざというときのために銃が置いてあった。アフリカでは、毎晩のように銃声がして、道を歩くときも地雷を踏まないように神経を使った。
平和憲法が改悪されたら、いやでも戦争に巻き込まれ、同じような生活になるのでは、危惧している。

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August 13, 2005

戸隠から海谷山塊 昭和60年5月3日から5日 越稜山岳会山行

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写真 左上:高妻山から乙妻山を望む 上右:縦走路から高妻山を振り返る 下左:焼山をめざす 下右:阿弥陀岳と烏帽子岳をバックに
 春の好天を利用し、戸隠から海谷まで縦走した。古い記録であるが、今でも登る人はそういないと思うので、紹介したい。
 5月3日(快晴)。5時戸隠牧場出発。前方に見える戸隠山が奇怪だ。しばらく進み、沢に入ると雪が出てきた。あちこちに滝がかかっていてすばらしい眺めだ。急な雪渓からやぶを少しこぐと、簡単に一不動に到着した(7時10分)。西方の展望が一気に開け、高妻山や北アルプスが目に飛び込んでくる。
 休憩もそこそこに歩き出す。雪がなくて登山道を歩くこともしばしば。8時20分五地蔵着。ここから標高差で400mの急登だ。くさりかけた雪に足をとられながらも、10時25分高妻山登頂。360度の展望を存分に楽しむ。はるかに遠くめざす焼山が望まれた。一時間かけて乙妻山まで歩を進める。驚いたことに、20年前新潟県山岳協会により実施された県境縦走の際のプレートが残っていた。ここで少し暑いが待望の昼寝をする。
 心地よい眠りをむさぼったあと縦走を再開する。少し下ってみて、仰天する。すっぱりと切れ落ちた崖となっているではないか。下まで100mくらいある。立ち木と固定ロープを頼りに降りていく。急崖もあと30mというところで、ロープはなくなっていた。一同動揺の色が隠せなかったが、細引きを持ってきたことを思い出す。これをダブルにして木にかけ、恐ろしい思いで降りた。
 降りついた鞍部で一息入れ、縦走を再開する。県境稜線はやぶが密生しておりとても手に負えない。ショートカットを繰り返す。夕方近くになると、風も強くなってきた。堂津岳の急登をくたくたになって登りきり、ピークの少し先を今日の泊場とした。
 5月4日(快晴)。5時15分発。上下の少ないひろい稜線を快調にとばす。柳原岳を越えると、やぶのついた上り下りの激しい稜線と化し、体力を消耗する。小谷村と笹ヶ峰を結ぶ林道が見下ろされる。西側斜面はかなりの急傾斜だ。松尾山が近づいてきた。私はどうしても三角点を獲得したかったので、遠回りして踏んでくる。
 乙見峠は7時40分着。これよりしばらく登山道が出現する。久々に雪のない道をたどる。ひとふん張りで薬師岳についた。ようやくやぶから開放されたことになる。焼山がひときわ大きく見える。少し下って左に90度コースを変えた頃から、日差しが強くなってきた。標高差500mの登りをやっとの思いでこなし、1時5分雪原に飛び出した。
 金山には2時10分到着。ここで一気に海谷山塊の展望が開けてきた。近いと思った富士見峠は意外に遠く、3時30分つかれきって到着。
 小休止後焼山ピストンに向かう。空身なのでピッチが上がる。大雪渓をガンガン登る。ルートはルンゼ状の地形をのびている。遠めには難しい岩場に見えたが、赤ペンキやロープのおかげで楽に登れた。稜線に出て火口をまわりと頂上に着いた。山頂から望む火打ち山はすばらしいの一語だ。下りはあっという間のグリセードで、テント帰着。夕方のひとときをのんびりと過ごす。
 5月5日(快晴)。4時50分出発。皆既月食を見たあと出かける。雪が締まっており、1ピッチで昼闇山の近くまで来てしまう。丸い頂の昼闇山をあとにして、一気に鉢山の鞍部へと下る。かなり切り立った山だ。KさんとYさんはそのまま北面の雪渓をトラバースするという。私はNさんと二人でピークを目指す。猛烈なやぶに加え、両側とも極端に切れているので緊張の連続だ。7時50分登頂。向こう側へ10分ほど降りてみたが、7m位の岩場に阻まれる。結局戻ることにした。
 鞍部で一休みしたあと、先行の二人と同様トラバースにかかる。それにしても北面の岩場はすごい。ほどなく向こう側の鞍部にいる二人と合流した。振り返って仰天する。先ほど我々がおりかけた岩場の先は、すさまじいばかりの岩壁になっているではないか。引き返してよかった。
 ここで阿弥陀岳ピストンへ行くかどうか迷うが、望見される険しさに断念することにした。広大な吉尾平をのんびりと歩く。阿弥陀岳と烏帽子岳東面の岩壁群を眺めながら、前烏帽子10時50分着。
 烏帽子の東面には百数十mも落下している滝があり、すこぶる絶景である。海谷山塊に最後に一瞥をくれ、北面の沢をグリセードで一気に下る。途中で雪がなくなり、やぶをこいで焼山温泉に到着する(12時30分)。温泉で山の疲れを癒し、車中の人となった。
 

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August 07, 2005

東篭ノ登山と黒斑山 05年8月5日、6日 同行5日家族、6日単独

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 写真 左:お花畑、こんなにアザミがきれいだとは 右:ガスの中着いた黒斑山
 例年帰省の際、信州の山を登ることにしている。今回は東篭ノ登山と黒斑山に登った。
 5日。まず三方が峰へ。ここはもともと高山植物で有名なところだ。今回もすばらしかった。ヤナギラン、ハクサンフウロ、カワラナデシコ、マツムシソウ、アザミなど。周遊コースをゆっくりと一周する。昼食後は東篭ノ登山へ。コースタイムで40分のところ、倍近くかけて頂上へ到着。ガスのため期待したほどの展望は得られなかったが、十分満足した。
 6日。高峰温泉から朝飯前にひとつピークを稼ごうと、5時10分出発。車坂峠経由表コースより、トーミの頭へ。ガスのため浅間方面は見えず。降りたところで単独の男性に会う。6時25分誰もいない頂上着。ここで20分天候待ちをするも、結局晴れず。あきらめて下山にかかる。頂上から少し降りたら、ハクサンシャクナゲが咲いていた。あとはのんびりと下山をつづけ、7時45分高峰温泉帰着。
 短時間であるが、花がすばらしい山行であった。

 ここで話題をひとつ。8月2日発行の「憲法を変えて戦争へ行こう」とい本をご存知だろうか。この本は「という世の中にしないための18人の発言」という副題がついているのだが、本当にドキッとするタイトルだ。さっそく購入して読んでみた。
 中村哲先生の「国家の使命とは、国民を守ることです。自国の人の命を危険にさらし、他国の人の命をも危険にさらすことは、国家の使命と逆行します。なぜ憲法9条が受け入れられたか、それをよくよく考えましょう。憲法9条をないがしろにすることは、自国民だけでも三百万という、大きな犠牲ーそしてアジア全体で考えると、二千万という甚大な犠牲ーを払った、その死をコケにすることです。」にはまったく同感だ。
 岩波ブックレットという簡単に読める本なので、ぜひ一読をすすめたい。

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August 01, 2005

ケニヤ山 平成1年5月1日から4日 単独

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写真 上左:レナナピークから朝日に染まる主峰を見上げる 上右:頂上直下で日本人2人と会う 下:レナナ峰を振り返る
暑いですね。この時期、涼しい氷河の山の登山記録をひとつ紹介したい。
 キリマンジャロ登頂後、あまった5日間で急遽ケニヤ山に出かけることにした。
 5月1日。9時過ぎマタトウ(乗り合いタクシー)にて、ナイロビから160km北にあるナンユキをめざす。オンボロ車がデコボコ道を時速120kmでとばす。まったく生きた心地がしない。何の気なしに窓の外を見ていたら、「Equator」と書いてある。ここが赤道かと思ったが、同乗者が大勢いるので記念撮影はできず。残念。ナンユキリバーロッジに宿をとる。ここでケニヤ山登山の用意を整える。2泊3日で2850シリング(1シリング約10円)という。
 5月2日。8時10分ロッジの車で出発。ナロモルから少し登ったところにあるガイド組合に寄り、ガイドのアントニー(36歳)を紹介される。車で公園事務所まで運んでもらい、入山手続きを済ませる。荷物については、私は自分の個人装備をすべて持ち(17kgくらい)、彼は共同の食料とコンロを持つことになった。彼は、自分はポーターじゃないとブツブツいうが、私だって彼以上に担いでいるので取り合わないでおく。
 10時30分発。しばらくは針葉樹林帯を通る。なぜか、ついでジャングル地帯となる。なんでもバッファローやゾウ、まれにはライオンまで出没するという。そういえば動物の糞があちこちに散乱している。道はかなりの悪路であるが、ジープなら登れるそうだ。途中雨にたたられるも、3時間かけてメッツステーション(3048m)に到着した。3時過ぎ日本人2人がやってきた。ジープですぐ下まで来たようだ。
 5月3日。7時15分出発。昨日一緒になった2人と同行する。40分ほどジャングルを登ると、高い木がなくなってきた。9時ピークに出る。ナロモルからナンユキの町が見下ろせた。雲海を隔てて4000m近い山々が望まれる。
 しばらく稜線漫歩を楽しむと、左側にナロモル川が開けてくる。川まで下ると一面セネシオの群落ではるか高いところまでつづいている。ケニヤ山は下部しか見えず。
 のんびり登って1時30分4300mのマッキンダースキャンプに着く。小屋は40人は入れそうな頑丈なヒュッテだ。昼食はキリマンジャロのときよりはるかに良く、不本意ながら残してしまう。小屋の周りにはハイラックスというたぬきに似た動物がエサを求めてやってきていた。近くの丘までハイキングに出かけたが、あまり展望はきかなかった。
 5月4日。1時50分起床。お茶一杯で出発。日本人3人、アメリカ人2人、ガイド2人の即席パーティーができる。沢を回りこむとガレ場となる。ジグザグの単調な登りを繰り返す。4時4600m地点を通過する。雪が出てきた。月明かりにケニヤ山の岩峰群が照らされている。私はすこぶる快調なのだが、ガイドが疲れてきて休みが多くなる。
 稜線に出ると寒さがこたえる。5時、雪の大斜面を登りきるとオーストラリアンハット(4807m)が見えてきた。中は寒々としていて、泊る気にはなれない小屋だ。小休止後、再び登り出す。ルートは左側の斜面をトラバースして行く。いつの間にか氷河上を歩いていることに気づく。傾斜が急になるに従い、ガイドが立ち止まる回数がいちだんと増える。どうもどちらがガイドかわからなくなってきたが、危なっかしいので私が手を引いて登ることにした。
 このあとがんばること20分で頂上稜線に飛び出した。5時50分、十字架のあるレナナピーク(4985m)に登頂。寒い、とにかく寒い。夜明けまで間があるので、じっと待つ。さあ、日の出だ。バチアン、ネリオン峰が赤く染まってゆく。影ケニヤ山が見え感激する。足下に、池や岩峰が点在している。
  50分後日本人1人が登ってきた。かなり消耗しているが、気力で登ったようだ。6時50分下山にかかる。100m位降りたところで、もう一人の日本人とすれちがう。ガイドが下山をすすめたが、最後の力をふりしぼって登っていった。岩峰群の移り変わる景色を楽しみながら下山し、7時50分キャンプ到着。さっそく朝食をとる。日本人2人も40分後には到着した。
 9時10分小屋を出る。順調に下り、11時40分メッツステーションに着く。小休止後さらに下山し、1時35分公園事務所に帰着する。あとはナロモル経由で、夕方ナイロビに戻ることができた。
 短時間のわりに、面白い山行だった。

 ここで案内をひとつ。8月9日、函館市芸術ホールにてアニメ「あした元気になーれ」が上映されます。お近くの方は、ぜひご覧ください。

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