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May 10, 2005

大雪 旭岳 05年5月3日 同行Mさん,Tさん

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 写真 上左:旭岳の尾根を登る 上右:旭岳頂上にて旗を掲げる 下左:頂上から比布岳、安足間岳方向を望む
下右:山頂をふりかえる
  友人2人と旭川空港で合流した後、レンタカーで旭岳ロープウェイへ。天候は曇り、上部は厚い雲に覆われている状態である。12時30分出発。積雪は2m以上あり、一面銀世界となる。旭岳石室まではゆるい上りだ。ここで装備を整え、さらに上を目指す。登山者が2人下山してきた。山頂付近は相当の風になっているようだ。
 頂上まで約300m、急になる手前でアイゼンをつける。視界は登るに従い、少しずつ回復傾向。金庫岩のあたりで、風はいっそう強まってきた。もう少しと、ガッツで登り続け、2時30分山頂着。
 さっそく友人が生協から借りてきた旗を掲げる。ガスが切れてきて、安足間から比布、鋸岳の稜線が見渡せるようになってきた。さっきまで雲の中であったことを考えると、本当にラッキーである。
 寒いので長くは滞在できず。下りにかかる。トムラウシや十勝連峰も見えてきて、すばらしい眺めである。順調に降りつづけ、4時にはロープウェイ駅帰着。遠方から来た友人にも満足してもらえ、幸運な山行だった。

 皆さんは「きけわだつみのこえ」という本をご存知でしょうか。この本は日本戦没学生の手記ですが、今回はそのうちのひとつを紹介したいと思います。
 木○久○ 京大経済学部生 昭和二十一年シンガポールの刑務所にて戦犯刑死。陸軍上等兵。二十八歳。
 中略。私は死刑の宣告をせられた。誰がこれを予測したであろう。年齢三十に至らず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう。
 中略。私はなんら死に値する悪をした事はない。悪をなしたのは他の人々である。
 中略。私は生きるべく、私の身の潔白を証明すべくあらゆる手段をつくした。私の上級者たる将校連より法廷において真実の陳述をなすことを厳禁せられ、それがため、命令者たる上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された。これは明らかに不合理である。
 中略。父母はその後御達者でありますか。孝ちゃんは達者か。孝ちゃんはもう二十二歳になるんですね。立派な娘さんになっているんでしょうが、一目見られないのは残念です。早く結婚して私に代わって家を継いでください。私のいない後、父母に孝養をつくせるのはあなただけですから。
 中略。降伏後の日本はずいぶんと変わったことだろう。思想的にも政治経済機構的にもずいぶんの試練と経験と変化とを受けるであろうが、そのいずれもが見ごたえのある一つ一つであるに相違ない。その中に私の時間と場所が見出されないのは誠に残念だ。
 中略。私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり。
 
 と書いて死んでいったのです。涙なくして読みとおせない手記です。
 振り返って今の日本を見てみると、戦前と同じ道を歩んでいると思います。しかもどんどんスピードを上げて。
 いったい第二次大戦の反省はどこへいってしまったのでしょうか。
 「きけわだつみのこえ」ご一読をすすめます。
 

 

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Comments

先日の20周年記念は盛大でしたね。たまには本州の山に行きましょう。(がんばって体重減少と筋力の強化に努める所存です。)
憲法第9条は日本が国際社会において、一目置かれている存在なんですね。どうしても改悪を許すわけにはいきません。私は派手なことは出来ないけど、シコシコやっていきたいと思っています。

Posted by: はつぴいえんど | July 18, 2005 at 05:21 PM

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