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March 07, 2005

川内、下田山塊(日本平山から中の又山)縦走 昭和56年 単独

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写真は54年4月のもの。左:魚止山から太郎山への稜線、右:裏の山をバックに
 川内、下田山塊縦走の二つ目として、不遇の山々を単独で縦走した記録を紹介したい。
 4月2日。白崎駅ビバーク。
 4月3日。白崎から谷沢集落まではバスで約10分。7時出発。
 登山道は雪でまったくわからず、適当に田んぼを横切り林の中に入る。積雪1m弱。沢が入りくみ戸惑うが、方向を定めて進む。ほどなくワカンをつけ、亀田山岳会「風雪四号」に記載のある一本松をめざす。眼下に見下ろす谷沢の村も小さくなり、管名連峰が顔を出してきた。雪は締まっており、ピッチが上がる。向かいのカタガリ山など、小ピークがボコボコと突出しているのが面白い。右側には日倉山の側面が荒々しく見える。稜線に出ると風が強く、ふらつかされるほどだ。大池周辺は一大緩斜面で、スキーにはもってこいだろう。鍋倉山が文字通り鍋を伏せた形で見える。
 1時5分。日本平山頂に着く。頂上にあるはずのやぐらは見あたらない。ここから斜面を下って行く。谷沢側は雪庇が落ちかかっており、右側の急斜面を連続トラバースする。鍋倉山への分岐手前は尾根が二つ出ており、右側を選ぶことにした。疲れがひどく鍋倉ピストンはあっさりあきらめる。右側にピークがあり登ってみると、左下に主稜線が見えてきて、がっかりする。どうも川内では、主稜線よりも枝尾根の方が立派なことがあるようだ。左に御神楽岳を望みつつ歩を進めるも、ついに力尽き、5時40分大方山への分岐点でツェルトを張る。
 4月4日。6時15分出発。しばらくは標高が低く、やぶが多い稜線だ。しかも両側とも切れているので、なかなか進めず。早出川方面の尾根や稜線は、地図を見てもよくわからないほど複雑にいりくんでいる。室谷への丸い尾根に着く頃より稜線も広くなりほっと一安心(8時25分)。室谷へは1時間ほどで下って行けそうに見え、家の屋根もはっきりわかるくらいだ。袴腰山の岩壁をめぐらした姿に目を見張る。太郎山までこの調子だとすぐだと思ったが、またまた稜線がやせてきてなかなか近づかない。今早出沢出合いの岩壁がすごい。300mはありそうだ。岩壁を落下する巨大な滝が2本望まれた。
 いよいよ太郎山だ。基部から350mの登りである。過去の記録同様、直登を選ぶ。最後の100mは、雪壁とズタズタになった雪庇のため緊張の連続となった。ピッケルをやわらかい雪に突き刺し、精一杯蹴りこみながらずり登る。登りきったときにはさすがにへたり込んでしまった(1時35分)。矢筈岳がピラミッド状に見え、たとえようもないほどすばらしい眺望だ。左岸の岩壁は傾斜が強く、上部はオーバーハングしている。右岸の岩壁は北側にあたるため雪がついていて、ドリュ北壁の写真を思い出させる。いつの日かこれら350mの岩壁も登られる日が来るだろうか。魚止山直下まで来たとき雪洞を掘るのにちょうどいいクレバスがあり、3時30分ここを泊場とする。
 4月5日。5時10分出発。快晴である。雪がクラストしており歩きやすい。魚止山は10分で登るが、その後がいけない。ナイフリッジと雪壁が出てきて思わぬ時間をくうも、朝のうちなので余裕がある。矢筈、青里、五剣谷など川内の山々をはじめ、御神楽から中の又にいたる県境、北には飯豊、南に転ずれば守門、浅草、越後三山から尾瀬の山まで見飽きることを知らない。
 6時20分三方境に着く。ワカンの跡があり、2日前に粟ケ岳から入山した新大ワンゲルのものと思われる。雪が締まっているうちにとガンガン飛ばす。駒形ピストンも見送りさらに下る。天気は下り坂であるが、今日一日はなんとかもってほしい。少々やぶが出てくるがかまわず進む。2年前に来たときより雪が多く、やぶの拷問はだいぶ軽減された。
 やっと最低鞍部に着き(10時25分)、見上げる915mピークは高い。途中ブッシュが混じった10mほどの岩場が出てきて少々手こずる。最後のずり落ちた雪壁を乗り越すと、平坦地に出た。中の又まで相当あるが、黙々と歩き1時15分中の又山着。
 下りは楽だ。949mピークの分岐のところで、トレースは南下している。途中合流してくると思ったが、いっこうにその気配なし。これでまた一人である。天気は悪化傾向で、風が強く雨も混じってきた。神楽岩は豪雪のためか楽に通過できた。五兵衛小屋跡には2時30分に着く。ここからは日本平へと歩を進める。ナイフリッジは急斜面のトラバースで回避し、4時15分日本平着。
 2,3日中の長靴の足跡があったので、その跡に従い下ってゆく。さすが地元の人で、一番合理的なルートを通っていた。沢出会いに着く。今年はデブリが多く、大谷川の激流に一気に落ち込んでいる。恐る恐るトラバースを繰り返した。懐かしい大江集落跡に着くも、二年前の村の影はまったくなく無性に寂しくなる。元大谷を過ぎたあたりでようやくダム建設現場の明かりが見えてきた。人影の見えないダムを過ぎ、少し歩いたら笠掘に着いた。7時30分。
 4月6日。笠掘発5時15分。八木前7時着。新潟へ帰った。

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