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March 02, 2005

朝日連峰から月山縦走 昭和59年 同行Nさん

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写真は、左:袖朝日岳をバックに、右:大朝日岳の稜線から昇る朝日
 訪れる人もまれな朝日連峰の記録を一つ紹介したい。
 3月31日。6時55分朝日平バス終点出発。朝から降っていた雨も上がり、まずまずのスタートだ。平坦な雪原に飽きた頃、針生平へ到着。ここからは手前のでかい尾根に取り付いた。はじめは登りやすかったが、そのうちやぶの密生した痩せ尾根になってしまい、片斜面のトラバースが続く。いったん800mピークに突き上げ、60mほど下ってから100m登り返して県境到着。2時40分。稜線直下は雪壁となっていて緊張する。
 この地点からは県境を北東に進む。山形県側の斜面はものすごく切れ落ちている。新潟県側はやぶがうるさく、どうしても雪庇に出てしまう。一度雪庇上で亀裂が走り、肝を冷やした。しばらく進むと二重稜線になっていて、下り口が急なこともあり、ここだけで30分も時間を費やす。夕闇が迫り冷え込んできた。6時10分、やっと桧岩屋山の頂にたどり着く。テント設営はすばやかったが、スパッツやワカンのひもがカンカンに凍ってしまい、ほどくのに1時間も費やした。
 4月1日。冷え込みが厳しくNさんはあまり眠れなかったようだ。5時45分出発。すがすがしい快晴のもと、巣戸と山、大日倉山など人知らぬ山々、山形県側では鋭鋒祝瓶山の展望を存分に楽しむ。袖朝日と相模山の南面は雪のついた岩場となっていて、朝日に映えて美しい。8時25分袖朝日岳のピークを通過し、主稜線に出たのは9時48分だった。休んでいると凍えてくる。以後行動中は一度もカッターシャツを脱がなかった。ゆっくり下って、竜門小屋は11時20分到着。小屋全体が巨大なエビのシッポに覆われていて見事だ。寒江山も軽くこなし下りに入る。しばらく降りていくと、一面氷になっている。稜線が切れているのに加え、このツルツルはなんということだ。四本歯アイゼンのNさんが慎重に下っていく。ワカンのみの私はもう地獄である。一瞬のうちにスリップしてしまうが、意外と落ち着いていてブッシュに飛びつくことができた。この氷はその後もしつこく続き、そのたびに北面を巻かざるを得ず、大いに消耗した。
 4時26分二ツ石山に着く。ここから望む以東岳は、飯豊西俣の峰からのえぶり差岳とそっくりだ。振り返って麓のほうを見下ろすと畑が見え、少しばかり下りたい気にかられた。30分降りたところを今日の天場とする。4時55分。
 4月2日。5時30分出発。早朝のひとガンバリで天狗角力取山を越える。天狗小屋はすっかり出ている。休む間もなく峻峰障子ヶ岳をめざす。頂上直下でまた例の氷が出てきたが、やぶに逃げたら大丈夫だった。頂は8時57分着。
 下りも案外悪くなく一安心。2,3時間なるべく休まないようにして、距離を稼ぐ。今回の食料計画は成功だ。昼にはサラミが有り余るほどだし、ハチミツはなめすぎてゲップが出そうなくらいだ。朝食も良く、ラーメン2個づつだった。重量感のある大桧原山を越えたら(11時49分)、枯松山は近かった。たまにもぐることはあるが雪面は総じて硬く、この時期としてはベストコンディションである。赤見堂手前の池を迂回して斜面をひと登りするとピークに出る。2時50分。
 いったん150m以上降りて見上げる次のピークはヒマラヤを思わせるような美しさであった。夜が迫り疲れもひどいが気力で鍋森を越え、下ったところにテントを張る。5時40分。今日一日で五万図のはじからはじまで歩いたことになる。
 4月3日。今日中に下山しようと真っ暗なうちから歩き出す(4時20分)。暗くてしかも複雑な地形のため、一本手前の尾根を下ってしまう。いったん沢に下り、登り返す。スキー跡の残る大越へは6時30分着。舗装された国道が見下ろされた。
 いよいよ湯殿山へ、標高差600mの登りだ。さすがに風が強く例の氷も時々出てくる。頂上に近づくにつれ、冬山の様相を呈してきた。千人岩への稜線はすさまじく切れている。ふもとの湯殿山ホテルが小さく望まれる。9時12分頂上着。ガンガン下って鞍部に着く。地図やアメ、チョコなどをポケットに入れ、月山ピストンに出発する(10時)。この時点では頂上も見えていることだし、簡単にのぼってしまえるものと楽観していた。姥ケ岳へ着いたら風が相当強くなっていて、時々立ち止まりながらの前進になった。ここでNさんは退却を提案したのだが、私はなんとしても頂上を踏みたくて、もう少し前進することになった。
 天気がいっそう悪くなってきた。ほどなく鍛冶小屋に到着した(12時6分)が、その時にはすでに猛吹雪となっていた。すぐさま来た道をとってかえしたが、さっき来たばかりの足跡が2,3分で消えかかっているではないか。懸命に探しながら下りていくも、風雪いっそう厳しくさすがに動揺してくる。しばらくはなんとかスキーの跡をたどることができたが、それもいつの間にかなくなってしまった。天候は悪化するばかり。今日中に好転するとはとても考えられないので、このまま下れるだけ下って最終人家までたどり着くしかないと覚悟を決める。中略。
 この後たいへんなアルバイトをすることになるのだが、体力もあったのだろう、8時30分工場の飯場に着くことができた。ここで泊めてもらい、翌日湯殿山ホテル経由のコースでザックを収容し、肝心の月山には登らないまま新潟に帰った。越後の春山のすばらしさ、怖さを身にしみて感じた山行であった。      

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