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March 28, 2005

燈明岳から七ツ岳と馬岳 05年3月27日 単独

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写真は上左:林道から望む馬岳、燈明岳、牛岳 上右:分岐部付近から見る馬岳 中左:七ツ岳に迫る 中右:七ツ岳頂上直下から望む大千軒連峰 下左:七ツ岳山頂 下右:七ツ岳頂上から見下ろす燈明、馬岳、丸岳、長山   以前から目をつけていた南面からの七ツ岳に挑戦した。5時40分知内温泉手前の林道終点出発。積雪は1m強。ワカンで少し沈む位。立派な橋でツラツラ川を渡り、林道に沿って歩を進める。めざす燈明岳、馬岳、牛岳、奥には七ツ岳も見え、ファイトが沸く。親井川の分岐が近づくと突然林道が終点となる。仕方がないので本流まで降りてみたら、橋を発見。あとは林道沿いに歩き、左岸の斜面が急になったところで休憩とする(7時30分)。
 ここから燈明岳から降りてくる尾根に取り付く。わずかな急登をこなすと明瞭な尾根に出る。あとは燈明まで忍耐の登りである。ラッセルは10~20cmで、時々膝まで踏み抜く状態。対岸の丸岳、長山の展望、どっしりした馬岳を見上げながら登っていく。9時燈明岳頂上着。やぶに覆われ展望もきかないので、その先の鞍部まで降りる。
 七ツ岳をめざすか、先に馬岳と牛岳をやるか思案のしどころだ。距離はあるが、白く輝く七ツ岳の魅力がまさる。先が長いので、休まず登る。登るに従い、先週登った袴腰岳や親岳が見えてくる。南西方向には真っ白な大千軒連峰がすばらしい。1箇所少し急なところが出てくるも、危険はない。最後は頂上雪庇の切れたところから乗り越すようにして、稜線に出る。とたんに強風に見舞われる。10時40分頂上着。雲はあるが360度の大展望だ。越えてきた燈明や馬岳、牛岳が眼下に見下ろされた。
 寒くて休んでいられず、早々に下山にかかる。やはり下りは早い。例の鞍部まで一気に下ることができた。天候は悪化傾向。まず馬岳をかたずけることにする。標高差で150m。一番急なところで40度位か。とても661mの山とは思えない迫力である。12時10分山頂着。雪が降ってきたので、急いで引き返すことにする。
 559mの分岐まで戻った頃には風雪となる。牛岳は残念だが断念することにした。トレースをたどりながら、12時55分燈明まで戻る。下りは早く、あっという間に林道帰着。あとは林道をこなすだけだ。朝合流した地点はまっすぐ進むことにする。こちらの方が地図上の林道なようだ。意外に早く林道を歩き通し、3時湯の里バス停到着。振り返ると今朝と同様、七ツ岳をはじめとする山々が見渡せた。

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March 19, 2005

尖岳と袴腰岳 05年3月19日 同行Uさん

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写真 上左:トンガリチリチリ林道から見上げる尖岳 上右:尖岳への稜線から望む袴腰岳 中左:袴腰岳から牛岳と燈明岳 中右:袴腰岳から七ッ岳とその奥に大千軒連峰 下:袴腰岳山頂にて
 1月には偵察に終わった尖岳と袴腰岳をめざした。木古内経由でトンガリチリチリ林道入り口に車を止める。7時52分出発。積雪は1.5m位か。1月とは違いワカンで10cmくらい沈むだけ。はるかに楽である。時折吹雪き模様となるが、回復するという予報を信じて歩を進める。9時8分林道を回りこむと、めざす袴腰が見えてきた。
 正面の尖岳がどんどん近づいてくる。林道がヘアピンカーブとなったところから沢に入る。ほどなく二股になり左側をとる。沢通しは切り立ったところもあり、まずは左岸、次に右岸にルートを取る。ぶなや岳樺が散在する斜面を黙々と登る。やっとのことで分水嶺に出た。たちまち強風となり雪面もクラストしてきた。雪庇の出た尾根を忍耐で登りきり、11時47分袴腰岳に到着。
 西側の展望が一気に開け、燈明岳、牛岳、親岳など個性的な山々が見える。その上にひときわ高く七ッ岳がそびえ、さらに奥には真っ白な大千軒連峰も望まれた。寒くてあまり休んでもいられない。次は尖岳だ。鞍部までは雪庇に注意しながら降りてゆく。程よい傾斜の尾根を気持ちよく登っていたら、あっけなく尖岳頂上に着く。1時5分。
 周りの山が皆低く見え、たいへん気持ちのよい頂である。Uさんは昨年に続き2度目の登頂となる。
 下山は分水嶺方向に少し降りてから、東側に回りこんで尾根に出た。あとは林道のある方向めざして下りつづけ、1時46分林道着。だいぶ雪がくさってきた。重くなった足を引きずるようにして、3時40分下山した。
 道南にもいい山があると再認識した山行だった。

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March 07, 2005

川内、下田山塊(日本平山から中の又山)縦走 昭和56年 単独

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写真は54年4月のもの。左:魚止山から太郎山への稜線、右:裏の山をバックに
 川内、下田山塊縦走の二つ目として、不遇の山々を単独で縦走した記録を紹介したい。
 4月2日。白崎駅ビバーク。
 4月3日。白崎から谷沢集落まではバスで約10分。7時出発。
 登山道は雪でまったくわからず、適当に田んぼを横切り林の中に入る。積雪1m弱。沢が入りくみ戸惑うが、方向を定めて進む。ほどなくワカンをつけ、亀田山岳会「風雪四号」に記載のある一本松をめざす。眼下に見下ろす谷沢の村も小さくなり、管名連峰が顔を出してきた。雪は締まっており、ピッチが上がる。向かいのカタガリ山など、小ピークがボコボコと突出しているのが面白い。右側には日倉山の側面が荒々しく見える。稜線に出ると風が強く、ふらつかされるほどだ。大池周辺は一大緩斜面で、スキーにはもってこいだろう。鍋倉山が文字通り鍋を伏せた形で見える。
 1時5分。日本平山頂に着く。頂上にあるはずのやぐらは見あたらない。ここから斜面を下って行く。谷沢側は雪庇が落ちかかっており、右側の急斜面を連続トラバースする。鍋倉山への分岐手前は尾根が二つ出ており、右側を選ぶことにした。疲れがひどく鍋倉ピストンはあっさりあきらめる。右側にピークがあり登ってみると、左下に主稜線が見えてきて、がっかりする。どうも川内では、主稜線よりも枝尾根の方が立派なことがあるようだ。左に御神楽岳を望みつつ歩を進めるも、ついに力尽き、5時40分大方山への分岐点でツェルトを張る。
 4月4日。6時15分出発。しばらくは標高が低く、やぶが多い稜線だ。しかも両側とも切れているので、なかなか進めず。早出川方面の尾根や稜線は、地図を見てもよくわからないほど複雑にいりくんでいる。室谷への丸い尾根に着く頃より稜線も広くなりほっと一安心(8時25分)。室谷へは1時間ほどで下って行けそうに見え、家の屋根もはっきりわかるくらいだ。袴腰山の岩壁をめぐらした姿に目を見張る。太郎山までこの調子だとすぐだと思ったが、またまた稜線がやせてきてなかなか近づかない。今早出沢出合いの岩壁がすごい。300mはありそうだ。岩壁を落下する巨大な滝が2本望まれた。
 いよいよ太郎山だ。基部から350mの登りである。過去の記録同様、直登を選ぶ。最後の100mは、雪壁とズタズタになった雪庇のため緊張の連続となった。ピッケルをやわらかい雪に突き刺し、精一杯蹴りこみながらずり登る。登りきったときにはさすがにへたり込んでしまった(1時35分)。矢筈岳がピラミッド状に見え、たとえようもないほどすばらしい眺望だ。左岸の岩壁は傾斜が強く、上部はオーバーハングしている。右岸の岩壁は北側にあたるため雪がついていて、ドリュ北壁の写真を思い出させる。いつの日かこれら350mの岩壁も登られる日が来るだろうか。魚止山直下まで来たとき雪洞を掘るのにちょうどいいクレバスがあり、3時30分ここを泊場とする。
 4月5日。5時10分出発。快晴である。雪がクラストしており歩きやすい。魚止山は10分で登るが、その後がいけない。ナイフリッジと雪壁が出てきて思わぬ時間をくうも、朝のうちなので余裕がある。矢筈、青里、五剣谷など川内の山々をはじめ、御神楽から中の又にいたる県境、北には飯豊、南に転ずれば守門、浅草、越後三山から尾瀬の山まで見飽きることを知らない。
 6時20分三方境に着く。ワカンの跡があり、2日前に粟ケ岳から入山した新大ワンゲルのものと思われる。雪が締まっているうちにとガンガン飛ばす。駒形ピストンも見送りさらに下る。天気は下り坂であるが、今日一日はなんとかもってほしい。少々やぶが出てくるがかまわず進む。2年前に来たときより雪が多く、やぶの拷問はだいぶ軽減された。
 やっと最低鞍部に着き(10時25分)、見上げる915mピークは高い。途中ブッシュが混じった10mほどの岩場が出てきて少々手こずる。最後のずり落ちた雪壁を乗り越すと、平坦地に出た。中の又まで相当あるが、黙々と歩き1時15分中の又山着。
 下りは楽だ。949mピークの分岐のところで、トレースは南下している。途中合流してくると思ったが、いっこうにその気配なし。これでまた一人である。天気は悪化傾向で、風が強く雨も混じってきた。神楽岩は豪雪のためか楽に通過できた。五兵衛小屋跡には2時30分に着く。ここからは日本平へと歩を進める。ナイフリッジは急斜面のトラバースで回避し、4時15分日本平着。
 2,3日中の長靴の足跡があったので、その跡に従い下ってゆく。さすが地元の人で、一番合理的なルートを通っていた。沢出会いに着く。今年はデブリが多く、大谷川の激流に一気に落ち込んでいる。恐る恐るトラバースを繰り返した。懐かしい大江集落跡に着くも、二年前の村の影はまったくなく無性に寂しくなる。元大谷を過ぎたあたりでようやくダム建設現場の明かりが見えてきた。人影の見えないダムを過ぎ、少し歩いたら笠掘に着いた。7時30分。
 4月6日。笠掘発5時15分。八木前7時着。新潟へ帰った。

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March 06, 2005

ネパール メラ・ピーク(6476m)試登 昭和58年3月 同行Nさん、Yさん

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 写真は上左:5300mの無名峰、上右:チャムランとマカルーを望む(Nさん撮影)、下左:未踏峰のピーク43(6769m)、下右:メラ・ピーク前衛峰をバックにYさん
 山をはじめて7年目、いつかは自分もヒマラヤへ、と思っていたが、とうとうその日がやってきた。めざすはメラ・ピークで、エベレストに近いクーンブ山群に属する山だ。
 3月13日。カトマンズには夕方着いた。タクシーの窓から眺める風景は、大正時代にタイムスリップしたような気さえおこさせたのを思い出す。質素な身なり、素朴な人柄、白熱電燈が点々とついていて、魂のふるさとに帰ったような感じがした。
 15日。幸運にも一発でルクラへ飛べた。この目ではじめて仰ぐヒマラヤの峰々、やはり感動した。キャラバンに入ってからは、日一日と自己の獲得高度を更新してゆくのが愉快だった。この年は豪雪で毎日のように降雪があり、キャラバンは遅れに遅れた。ベースキャンプに着いたときには、なんと3日しか余裕がないところまできていた。そこで一発勝負をかけたのだが、結果はNさんが5600m、私が5415mのメラ・ラ、Yさんが5300mまでであった。
 それにしてもBCから上は厳しかった。夜の寒さは予想以上で、羽毛の寝袋を二重にしてやっとしのげるくらいであった。テント内のポリタンは一滴も残さず凍ってしまう状態であった。
 寒さと同様驚いたのは、乾燥した大気である。強い日差し、特に氷河からの照り返しは想像を超え、小さいテルモスではないに等しかった。登山中も脱水に悩まされ、一日が終わるとげっそりしていたのを思い出す。
 シェルパやポーターたちとの交流も忘れがたい。皆気のいい人たちばかりで、キャラバンも非常に楽しいものだった。ただ泊場については、ポーターたちが気の毒だった。我々やシェルパにはテントがあったが、彼らには何もなかった。岩小屋で薄い毛布一枚ではさぞ寒かったであろうに。
 下山してから慰労会を催した。シェルパばかりではなくポーターも全員呼んで、できる範囲の歓待をした。ある中年のオジサンポーターは、キャラバン中とは違い、いっちょうらの背広を着てきた。酒が入るほど多弁になり、最後には泣き出してしまった。どうも、私のようなポーターをこんな場に招いてもらって本当にうれしい、ということのようであった。背景があるだけに複雑な心境だった。
 はじめてのヒマラヤは試登に終わったが、実り多い旅だった。

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March 02, 2005

朝日連峰から月山縦走 昭和59年 同行Nさん

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写真は、左:袖朝日岳をバックに、右:大朝日岳の稜線から昇る朝日
 訪れる人もまれな朝日連峰の記録を一つ紹介したい。
 3月31日。6時55分朝日平バス終点出発。朝から降っていた雨も上がり、まずまずのスタートだ。平坦な雪原に飽きた頃、針生平へ到着。ここからは手前のでかい尾根に取り付いた。はじめは登りやすかったが、そのうちやぶの密生した痩せ尾根になってしまい、片斜面のトラバースが続く。いったん800mピークに突き上げ、60mほど下ってから100m登り返して県境到着。2時40分。稜線直下は雪壁となっていて緊張する。
 この地点からは県境を北東に進む。山形県側の斜面はものすごく切れ落ちている。新潟県側はやぶがうるさく、どうしても雪庇に出てしまう。一度雪庇上で亀裂が走り、肝を冷やした。しばらく進むと二重稜線になっていて、下り口が急なこともあり、ここだけで30分も時間を費やす。夕闇が迫り冷え込んできた。6時10分、やっと桧岩屋山の頂にたどり着く。テント設営はすばやかったが、スパッツやワカンのひもがカンカンに凍ってしまい、ほどくのに1時間も費やした。
 4月1日。冷え込みが厳しくNさんはあまり眠れなかったようだ。5時45分出発。すがすがしい快晴のもと、巣戸と山、大日倉山など人知らぬ山々、山形県側では鋭鋒祝瓶山の展望を存分に楽しむ。袖朝日と相模山の南面は雪のついた岩場となっていて、朝日に映えて美しい。8時25分袖朝日岳のピークを通過し、主稜線に出たのは9時48分だった。休んでいると凍えてくる。以後行動中は一度もカッターシャツを脱がなかった。ゆっくり下って、竜門小屋は11時20分到着。小屋全体が巨大なエビのシッポに覆われていて見事だ。寒江山も軽くこなし下りに入る。しばらく降りていくと、一面氷になっている。稜線が切れているのに加え、このツルツルはなんということだ。四本歯アイゼンのNさんが慎重に下っていく。ワカンのみの私はもう地獄である。一瞬のうちにスリップしてしまうが、意外と落ち着いていてブッシュに飛びつくことができた。この氷はその後もしつこく続き、そのたびに北面を巻かざるを得ず、大いに消耗した。
 4時26分二ツ石山に着く。ここから望む以東岳は、飯豊西俣の峰からのえぶり差岳とそっくりだ。振り返って麓のほうを見下ろすと畑が見え、少しばかり下りたい気にかられた。30分降りたところを今日の天場とする。4時55分。
 4月2日。5時30分出発。早朝のひとガンバリで天狗角力取山を越える。天狗小屋はすっかり出ている。休む間もなく峻峰障子ヶ岳をめざす。頂上直下でまた例の氷が出てきたが、やぶに逃げたら大丈夫だった。頂は8時57分着。
 下りも案外悪くなく一安心。2,3時間なるべく休まないようにして、距離を稼ぐ。今回の食料計画は成功だ。昼にはサラミが有り余るほどだし、ハチミツはなめすぎてゲップが出そうなくらいだ。朝食も良く、ラーメン2個づつだった。重量感のある大桧原山を越えたら(11時49分)、枯松山は近かった。たまにもぐることはあるが雪面は総じて硬く、この時期としてはベストコンディションである。赤見堂手前の池を迂回して斜面をひと登りするとピークに出る。2時50分。
 いったん150m以上降りて見上げる次のピークはヒマラヤを思わせるような美しさであった。夜が迫り疲れもひどいが気力で鍋森を越え、下ったところにテントを張る。5時40分。今日一日で五万図のはじからはじまで歩いたことになる。
 4月3日。今日中に下山しようと真っ暗なうちから歩き出す(4時20分)。暗くてしかも複雑な地形のため、一本手前の尾根を下ってしまう。いったん沢に下り、登り返す。スキー跡の残る大越へは6時30分着。舗装された国道が見下ろされた。
 いよいよ湯殿山へ、標高差600mの登りだ。さすがに風が強く例の氷も時々出てくる。頂上に近づくにつれ、冬山の様相を呈してきた。千人岩への稜線はすさまじく切れている。ふもとの湯殿山ホテルが小さく望まれる。9時12分頂上着。ガンガン下って鞍部に着く。地図やアメ、チョコなどをポケットに入れ、月山ピストンに出発する(10時)。この時点では頂上も見えていることだし、簡単にのぼってしまえるものと楽観していた。姥ケ岳へ着いたら風が相当強くなっていて、時々立ち止まりながらの前進になった。ここでNさんは退却を提案したのだが、私はなんとしても頂上を踏みたくて、もう少し前進することになった。
 天気がいっそう悪くなってきた。ほどなく鍛冶小屋に到着した(12時6分)が、その時にはすでに猛吹雪となっていた。すぐさま来た道をとってかえしたが、さっき来たばかりの足跡が2,3分で消えかかっているではないか。懸命に探しながら下りていくも、風雪いっそう厳しくさすがに動揺してくる。しばらくはなんとかスキーの跡をたどることができたが、それもいつの間にかなくなってしまった。天候は悪化するばかり。今日中に好転するとはとても考えられないので、このまま下れるだけ下って最終人家までたどり着くしかないと覚悟を決める。中略。
 この後たいへんなアルバイトをすることになるのだが、体力もあったのだろう、8時30分工場の飯場に着くことができた。ここで泊めてもらい、翌日湯殿山ホテル経由のコースでザックを収容し、肝心の月山には登らないまま新潟に帰った。越後の春山のすばらしさ、怖さを身にしみて感じた山行であった。      

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