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February 27, 2005

袴腰岳(1108.3m) 05年2月27日 単独

_011 朝起きたらまずまずの天気。大急ぎでパッキングし、よこつスキー場へ。9時20分出発。程なく函館地区山岳連盟の8人パーティーに会った。横津岳山頂がまじかになってから右に折れ、烏帽子の肩をかすめるようにして最低鞍部へ。風雪模様となるも、視界はそう悪くない。一部雪壁状の急登をがんばり、11時15分山頂着。トレースが消える恐れがあるので、すぐに引き返す。11時55分烏帽子岳着。あとは来た道どおりに戻り、1時15分スキー場に下山した.
 吹雪かれると上級コースだが、近くていい山である。

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February 20, 2005

川内、下田山塊(毛石山から浅草岳)縦走 昭和57年 同行Yさん

kawati4kawati3kawati2kawati1 川内山塊とは、新潟市から南東へ約50km、早出川の源流に存在する山々のことを指す。下田山塊、会越国境の山々が隣接している。写真は上左:矢筈岳の登りから見る青里岳、上右:矢筈岳頂上から東峰を望む、下左:毛無山と矢筈岳を振り返る、下右:鬼ガ面山
 昭和53年5月、笠堀ダムから激流と化した笠堀川をスノーブリッジを利用して渡り、やぶをこいで川内の主峰矢筈岳(1258m)に立った。同行した2人は前年大川からの数度にわたる執ようなアタックにもかかわらず登頂できなかったため、矢筈岳へ尋常ではない執念を燃やしていた。
 山頂からの展望に声を失った。360度どこまでも続く山並み、道のまったくない未踏の山々、地味ななかにもスケールの大きな山容、どれをとってもそれまで接したことのないもので、圧倒的な迫力で私に迫ってきた。これだ!と思った。私は矢筈岳山頂で、近年中にこれらの山々をすべて登ってやるぞと心に誓った。
 というわけで、この後3回の山行でほぼ宿願を果たすのだが、今でも記録的価値はあると思われるので、ここにそのうち一つを紹介したい。
 4月3日。夜中に雨が降り出し、門原トンネルに退避。5時25分出発。いまは無人の一軒家の軒先にかかっている門原町内会長という札が哀愁を誘う。河岸段丘をしばらく進み、左の尾根に取り付く。斜面にはほとんど雪がなく、強烈なやぶこぎとなる。379mピークから楽になる。雨あしはけっこう強く、風も出てきた。両側の峡谷が墨絵のようにボーっとかすんで見える。しばらく前の単独らしき人の足跡が続いていて驚いた。尾根には一部踏跡があり、電線が落ちていたりする。毛石山の250mの登りは身にこたえた。視界は50m位。次のピークで突然尾根が二つに分かれ、雪庇のつき方が逆になっている。左を取って、赤倉川側が切れているのでその境目を進んだ。雨からみぞれ、さらに雪と最悪のパターンになってきた。灰ケ岳付近で二重稜線となり不安になるも赤倉側を歩む。ここから10分もすると雪洞作りにもってこいの雪堤があり、吹雪にかこつけて早めに泊場決定とした。1時55分。体、特に足は一点の乾きもないほどで、夕方は濡れ物乾かしに費やす。
 4月4日。5時35分出発。朝の冷気に雪は硬くしまっている。三方ガリー手前で沢に降り対岸の尾根に取り付く。これで20分は得したろう。小雪まじりだが視界は良好。上下の少ない雪稜をつめていくと青里岳頂上到着。8時15分。青里の下りは急でクラストしている。いよいよ川内の主峰矢筈岳だ。尾根が90度曲がる頃より険しくなる。両側がすっぱり切れ落ちていて、越後三山の桧廊下のような感じだ。天候は風雪模様になってきた。
 10時40分。やっと頂上を足下にする。3回目だがさすがに矢筈の頂上っていうのは気分が良い。東峰の方が高く見える。南側の巨大雪庇に注意を払い、東峰には連続トラバース。スケールが大きく、何かヒマラヤの稜線にいるような錯覚をする。東峰からはくさった斜面を一気に下る。三方ガリーから先行していたトレースが5人パーティーのものであることが判明した。90度曲がって最低鞍部。不思議なことにここはいつも岩盤が露出している。1049mピークでは15mの岩場の斜面を直登。ガンガラシバナの岩壁がよく見える。横から見るとやぶが目立つが、正面からは迫力満点だ。高距350m位だろうか。三方境1時着。けっこう雪がついていて楽ができた。駒形ピストンはやめにして、なおも進む。裏の山手前鞍部にて雪洞を掘るのに絶好の場所を発見。泊場とする。3時45分。雪がやわらかく1時間もすると完成した。後はガスをたいて濡れ物を乾かすだけである。
 4月5日。3時に起床。どうしてもシュラフがぬれてしまい、安眠が妨げられる。雪がくさるのを恐れて5時出発。裏の山には5分で着く。ここから最低鞍部までが、例年やぶの拷問に悩まされるところである。しかし今年は遅くなって降雪があったらしく、苦労せずに最低鞍部に到着する。6時。さてと200mの急登である。例年出ている岩場も雪で隠れ、雪庇もベストコンディションである。中の又側の岩場に大氷ばくがかかっている。休憩も取らず快調に稼ぐ。中の又山は8時20分。今まで利用したトレースは御神楽岳の方に向かっている。中の又はこれで4回目だ。過去の苦労した山行が思い出される。ここから五平衛小屋跡までの地形はまったく複雑怪奇。何度来ても戸惑ってしまう。
 9時40分、五平衛小屋跡着。ここからは未知の領域だ。たまに出てくる150~200mの斜面にシゴかれるが、平坦なところはガンガン飛ばす。正面には烏帽子山が荒々しい姿を見せ、奥には守門連山が気高くそそり立っている。Yさんの足取りは軽くなるばかりで、なかなか追いつけない。1135mピークへは気力で這い上がる。黒姫が軍艦のような迫力だ。烏帽子ピストンは3時間は必要。しかも頂上直下が異常に急だ。断念する。眼下に広がる田代平は雪が消えるとすばらしい湿原になりそうだ。八十里越直前で右に降りていくと滝が出でいた。冷たい水をたらふく飲むことができた。泊場を物色しながら進み、1010.5mピークでザックをおろす。4時。
 4月6日。満天星空のもと4時10分出発。あたり一面はかぎりなく平坦だ。しばらく進むと尾根らしくなるが、それを越えると本当の大雪原となる。浅草岳の頂まで一直線だ。クラストした雪面をガサッガサッと快い音を立てながら歩む。小屋経由で6時45分、頂上の三角点を踏みしめる。鬼ガ面山の眺めは圧巻だ。冬の谷川岳もこんな感じなのだろうか。大休止しようと思っていたが、強風に凍えビスケットを詰め込んで頂を後にする。
 ここから鬼ガ面山までがつらかった。雪面が凍っていてアイゼンが欲しい。新潟県側をトラバースして巨大な雪庇を避ける。雪壁も出てきてステップも切らされる。消耗激しく8時38分鬼ガ面にたどり着く。ここからは飛ぶように下降し、9時40分六十里越着。なんとしても11時50分の列車に間に合わせようと必死に歩く。斜面からのデブリが気になるが、灼熱のの中飛ばしに飛ばす。沢水も見送るだけで力の限り歩く。駅まで1kmのところからは除雪されている。ラスト500mはマラソンになる。11時35分くたびれ果てて田子倉駅に着く。
 装備、食料は極力軽量化した。飯はジフィーズ。果物、野菜はなし。ガソリンも1人1日150mlで大量に余った。そのせいか入山時でもザックが22,3kgと軽く、大いに行程を伸ばすことができた山行である。
 

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February 13, 2005

飯豊連峰カモシカ縦走 昭和58年 単独

iide1iide2iide3 古い記録であるが、越後の山行をひとつ紹介したい。近いうちに再挑戦したいコースである。
 写真は左上:5月中旬の大日岳。右上:同じく北股岳から本山方向。下:3月の大日岳。
晴れた日には、朝夕望まれる飯豊。遠き山、深き山といわれてきた飯豊。いろいろ便利になってきたとはいえ、いまだ未開を残す山である。地元の利を生かして四季折々の姿に親しんできたが、ここらでひとつ斬新なことをやってみたくなってきた。
 早掛け山行には、数年来関心を持ってきた。それが、上越国境、川内山塊などで少しばかりの成果となって表れたが、まだまだ満足のいくものではなかった。地図を広げ物色していたら、飯豊、朝日、越後三山が目にとまった。朝日にはアプローチの難点があり、越後三山には過去の記録がある。それでは飯豊はどうだろう。日帰り縦走の話はあまり聞いたことがないし、その日のうちに新潟に帰ればすっきりしたものになるのではないか。
 それでは、飯豊の山容を見てみよう。稜線に突き上げる尾根は、いずれも鉄砲登りである。登降のロスが少なく、効率のよい登りといえる。次に稜線に出てみよう。一見してわかるように、起伏がほとんどない。距離を稼ぐにはうってつけであり、早掛けのためにあるのでは、と思いたくなるくらいである。
 7月15日。いまにも雨が降り出しそうな空模様であるが、こういうチャンスはめったにないと思い、勇躍山都へと向かう。一の木でバスは終点だ。川入をめざして雨の中トボトボ歩いていたら、車に拾われた。キャンプ場に着き、明るいうちにシュラフカバーにもぐり込む。
 16日。30分ほどもうとうとしたろうか。23時30分に起きだし、パンを無理やり腹に押し込む。篠着く雨の中、0時15分キャンプ場を後にする。10分で登山口に着き、下十五里へ向かう。体調優れず中十五里、上十五里とだいぶ時間がかかってしまった。道は流水のせいか溝になっていて、登りにくいったらない。縦走の始発点として地蔵岳山頂はぜひとも踏んでおきたかったが、入り口がわからず敗退。休まず鞍部まで降りる(2時40分)。いよいよ剣が峰だ。ライト一つで不安があったが、岩場のやさしい所を選んでいったら迷わず通過できた。無人の三国小屋着3時25分。元気いっぱい雨中に飛び出し、しばらく下ってひょいと標識を見た。なんと疣岩山に向かっているではないか。ここで約10分ロスしたことになる。種蒔山にかかる頃から明るくなってくるも、依然として雨。大地を踏みしめ、一歩一歩足を出す。山腹を横切ると切合小屋が見えてきた(4時45分)。小屋内では、5,6人が心地よさそうな寝息を立てていた。
 急登の草履塚を越え、飯豊では珍しいくさり場(御秘所)にさしかかる。風雨が強まりバランスを保つのも容易ではない。ここからはガラガラの登り300mで本山小屋だ。一気につめ小屋着6時25分。中では父親と息子らしき親子が出発準備をしていた。トボトボ歩いて御西小屋は7時45分。屋根を打つ雨音のすごさに、大日岳ピストンはあっさり断念する。今回は努めて無理しないようにし、ゆっくり歩きを貫くつもりだ。
 天狗岳では、去年の沢登り合宿時つきあげたところを見つけ、懐古にひたる。天狗の庭、御手洗池と豊富な雪渓を横断することが多くなる。烏帽子周辺で五パーティーに出会うが、サブザック姿が場違いな雰囲気である。のんびり歩き、体力温存を図る。カイラギ小屋10時通過。休む間もなく北股岳へと足を向ける。
 北股岳を越してしばらくは、ゆったりした稜線漫歩を楽しむ。門内小屋11時5分着。雨はさっきからやんでいて、視界もきいてきた。頼母木小屋は12時30分着。黒川村の青年四人がいて、その中の二人は門内小屋に管理人として入るそうだ。水場を検分している彼らを後に、草原を下って行く。まったく気分が良い。大石山で地元の女性三人組と会い、「今日はどこからですか?」と聞かれるが、「川入から」と答えるのが痛快だ。すこぶる快調。この分なら楽勝だと、鉾立峰、えぶり差岳(高差400m)の急登をピッチを上げて登りきる。えぶり差は14時30分着。さっきの三人がのんびり頼母木小屋へと向かっているのが望見された。よし、あと4時間もすればビールだと楽観するも、この後に訪れる地獄を誰が想像できたろう。
 連峰に最後の一瞥をくれ、権内尾根に入る。尾根というより峰であり、小ピークが林立している。懸命に歩くが、いっこうに高度が下がってくれない。やっとのことで権内ノ峰まで達する。残るは急降下700mだ。疲れきった体には下りといえども厳しく、這うようにして高度を下げていく。体はもうボロ雑巾のような感じだ。東俣川の吊り橋を渡り三吉の峰を登り返すが、この登りでまたまた汗をかかされる。第二の吊り橋を渡ると、林道終点まで一投足だった(17時10分)。寝不足と疲労でもうクタクタである。だが列車時間があるので休んではいられない。渓谷を見下ろしながら、黙々と足を前に出す。釣り師に出会い励まされるが、その彼もバイクで行ってしまった。それにしてもなんと長いロードなんだろう。おまけに靴ずれも悪化してきた。一生懸命に歩くが、時速にして4キロも出ていないようだ。
 18時56分、7kmのロードをやっとのことで歩き通し、大石ダムに着く。大石集落まで歩くだけの余力がないので、タクシーを呼び越後下関駅へ。余裕で急行「べにばな」に間に合い、22時過ぎには新潟に帰着することができた。

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尖岳偵察と当別丸山 05年2月12日 単独

P1010055P1010058 以前から気になっていた道南の尖岳に行ってきました。アプローチはトンガリチリチリ林道です。あわよくば登頂をと考えていましたが、ワカンを履いても膝を越すラッセルと悪天に断念しました。写真のように登高欲をそそる山容です。このまま帰るのはしゃくなので、当別丸山に寄りました。途中で登山道をはずしたせいか、腰までのラッセルとなりけっこうたいへんでした。写真は山頂です。

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February 06, 2005

ヒマラヤの旅 0年11月 単独

rantannrirunganeshgosainkundoheranbu 北海道に戻る前少し時間ができたので、気軽にトレッキングに行ってくることにした。めざす山域はネパールのランタンヒマラヤ。7年前に一度経験のある山域である。
 11月12日。上海経由でカトマンズ入り。関西空港から宿に電話していたので、出迎えがあった。いつものインターナショナルゲストハウスに荷を降ろす。
 13日。旅行会社を数件あたり、一番安いところに決める。紹介されたシェルパは、エベレスト登頂者で数日前にダウラギリから帰ってきたという若者であった。旅の間も今までの遠征の話を聞くことができ、ラッキーであった。荷物は極力切り詰め10kg強となった。
 14日。朝一番の乗り合いバスで出発。カカニを過ぎる頃から車に酔ってしまい、つらいバスの旅だった。午後4時ようやく目的地のドゥンチェに着く。標高は2040mで少し肌寒い。
 15日。8時出発。今日は標高差で1300m、コースタイムで5時間の行程である。川沿いの道をしばらく進み、急な尾根に取り付く。1時間ほどがんばると一軒の茶屋に出た。お茶を一杯頼む。母子3人の質素な暮らしが丸見えで、食事といってもご飯だけであった。急登しばらくで、展望のよい広場に着いた。ここで昼食とする。おきまりのネパール定食で、安くて腹いっぱいになる。アーミーキャンプの脇を通り過ぎてひと登りすると、シンゴンパについた(午後1時) 。
標高は3350mもあり、すでに北アルプスよりも高い。7年前とはずいぶん様変わりしていて、立派なロッジが数件並んでいる。休憩後少し上まで散歩に出る。村をぶらついていたら、50台と思われる日本人夫婦(以下A夫妻と略す)に会い、しばらく話し込む。ランタン谷をトレッキングしてきたので順応は十分なようだ。夕方日本の家に衛星電話をすることができた。
 16日。7時40分出発。今日の行程は短いのでゆっくり行く。うっそうとした林の中をしばらく進むとチャランパティ(3584m)着。正面にランタンリルン(7225m)が望める。ここからはゆったりした尾根を登る。いろんな国から登山者が来ており、ちょっとした会話が楽しみになる。ガスが出てきて視界が利かなくなってきた。9時45分ラウレビナヤク(3900m)着。時間はまだ早いが、高所順応を考えここを宿とする。昨日会ったA夫妻はゴサインクンドめざして登っていった。昼食後200m位上部まであしをのばす。夕方逆コースでカトマンズから歩いてきたという札幌出身の60台の男性に会い、情報を仕入れる。
 17日。昨夜は冷え込み、カトマンズで羽毛服を借りてきたのは正解だった。入山後初めての快晴となり、ガネッシュ山群、マナスル山群まで見渡せる。7時15分出発。200m位登るとさらに展望はよくなり、遠くアンナプルナ山群まで指呼できた。岩尾根を回り込むと湖が見えてきた。ここでスイス人の老人に会う。70歳を越えてなお軽装でヒマラヤを歩き回っている姿に驚く。4380mのゴサインクンドは8時40分着。深い青色の水をたたえた湖で、ヒンズー教の聖地となっている。7年前に比べるとロッジははるかに快適となっており、衛星電話の設備もある。こんな山奥から日本に電話できるなんて、以前は考えもつかなかったことである。裏山のピークへ行ってみる。順応はまあまあか。前回はここで引き返したので、これからは未知の領域である。湖からひと登りで、11時20分タルチョーのはためく峠着。標高は今回の旅の最高地点4610mである。ガスが出てきて展望はいまいちなのが残念だ。
 荒涼とした広い谷を降りていく。3930mのカルカで小休止。ここには8年前墜落した飛行機の残骸がまだ残っていた。少し険しくなった道を上り下りを繰り返しながらがんばり、2時45分ゴプテ着。例のA夫妻と再会する。
 18日。7時10分出発。朝のひとがんばりで展望のよい尾根ターレパティ(3597m)に上がる。北には3900m位のピークがあり、30分で達する。体調良好。6000m峰を数多く持つジュガール山群の展望を楽しむ。ここからは石楠花の多い林をのんびりと下っていく。標高が下がった分暑くなって来た。アーミーキャンプのある広場でゆっくり昼食を取っていたら、A夫妻に追いつかれた。広い尾根を一路下り続け、2時今日の宿クトゥムサンに到着。標高は2460m。食料が豊富でホットシャワーまである。久々に汗を流しすっきりした。シェルパもどこにしまっていたのか、はりっとした服に着替えてきた。
 19日。7時25分出発。今日はできたらカトマンズまで帰ろうと意気込む。天まで届くような段々畑を見ながら、下り続ける。チプリンで昼食。のんびりしていたら、A夫妻にまたまた追いつかれてしまった。このままではチソパニ泊まりになってしまうので、一気にペースを上げる。最低鞍部は1768mしかなく日本の夏山並みの暑さだ。急な尾根道を快調に登る。1時35分チソパニ着。紅茶でのどをうるおし休まず登る。最後の山(2438m)を越えるとあとは下りだけだ。これで終わりだと思うと力が出る。飛ばしに飛ばして4時10分スンダリジャル(1390m)に下山する。タクシーをつかまえてゲストハウスに戻った。
 20日。一日のんびり過ごす。
 21日。セスナでエベレスト方面のマウンテンフライトを楽しむ。
 22日。上海経由で帰国。
 派手さはないが、登山者の少ない静かな山旅であった。

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